おばぁちゃんが渡った虹の橋。




金曜日におばあちゃんが亡くなりました。
享年89歳10か月でした。
お葬式があったので、家族3人で急遽滋賀へ行ってきました。
今年に入って3回目の滋賀、0歳児のしきも西へ東へ忙しい。生まれてから一体もう何回新幹線に乗ったのか忘れた(笑)




おばあちゃんは老衰でした。
もうそろそろ危ないといわれてから、あまりにも早かった。
知らせを聞いて、そうか、おばあちゃん今まで本当にお疲れさまでした、そして本当にありがとう、と思いました。
事故とか病気で死んだわけではなく、寿命を全うして亡くなったので、むしろおばあちゃんは人生を無事にやりつくし、また次の世界へ旅立った、という感覚だったのに、顔を見た途端涙がこぼれてきた。




おばあちゃんの身体はそこに存在しているのに、もう、おばあちゃんはそこにはいなかった。




この前帰った時に会いに行ってバイバイしたのがおばあちゃんを見た最後で、その時は弱々しいながらもそこにおばあちゃんは確かにいた。
でももういない。
そしてもう2度と会えないのだ。




覚悟はしていたものの、この不思議な感覚。
お通夜が終わって、火葬する前には、おばあちゃんはここにはもういないけど、さらにおばあちゃんの形をしたこの肉体まで明日にはこの世からなくなってしまうのかと考えると涙がこぼれてたまらなかった。




さみしいわけじゃない、悲しいという感覚でもない、なのに涙がこぼれて止まらない、コトバにならない。
それがきっと、わたしにとってのおばあちゃんという存在の大きさだったんだろう。




おばあちゃんの作るしょっぱいおにぎりが大好きでした。
おじぃちゃんがしょんぼりしてました。
今までわたしが見た中で、一番しょんぼりしてました。
霊柩車が家を出る時、ものすごく沢山の人が見送ってくれました。その時、おばあちゃんが太田家にお嫁に来てからこの家を出て行くその日までの歴史を見たようでした。
この瞬間、おばあちゃんはもう2度とこの家に帰って来ることはないんだと思いました。
おばあちゃん、お疲れさまーーー!!って心から思った。




可愛いらしく、女性らしい人でした。
やさしくて、いつもみんなを心配してくれていました。
お骨を拾いに行ったお母さん達が、見た虹の写真を送ってくれました。火葬されてる最中は嵐のような空だったのに、終わったらいきなり晴れて大きな虹が2つ空に架かっていたようです。







これはきっと、おばあちゃんが渡る虹の橋だ。








しきは、おにいちゃん達に遊んでもらって大はしゃぎでした。わたしの従兄弟の子供達でおばあちゃんにとってはひ孫たち。
めちゃ可愛いんですけど♡
見る度に大きくなってて、どんどんしっかりしてきて、しきをいっぱい遊んでくれました。
従兄弟にも本当に久々に会えて、沢山話せてすっごい嬉しかった!







しき、嬉しそう。
また一緒に遊んであげてね!!







帰りは、スカッと富士山が見えました。
先ほど東京に到着しました。