継続は力なり。

きょうのはっけんからの質問2!!!

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ぜひやってみてくださーい!
50人になったら終わり。



★★★






昨日のタイトルの、デ★男子からこのブログにやって来る人がすごく多くてびっくりしました。
そんなに世の中はデ★男子ブームなのか?!
でも太ってるっていうか、大きい人ってステキよね。
それは昔から思ってること。
女性、男性に関わらず、大きい人はみていて安心できる。




とか言いつつ、今日の話は流行とはまったく関係ないけど(いつも関係ないけど)。




わたしは昔からコツコツ何かを続けるってのが得意でした。
そんなわけで、何かを継続するっていうことに対してまったく違和感なくやれるわけで、よく、ひとつのことを継続することができるってすごいよねと言われたりしますが、自分ではまったくすごいと思っていませんでした。




だってやりたいからやっているわけで、やりたくなかったら止めればいいし。
やりたくないことを、わざわざ継続しない。
色んなことをやっている人も、ひとつのことをやっている人も、「やりたいこと」をやっている、という行為を継続しているわけだから、その2つはなんら変わりはないと思っていた。




でも最近、すごく、新しいことが見えはじめてきている。
別に、執着しているわけではないので、絵を描いていることだっていつでもやめることはできると思うし、この先、ぜんぜん違うことだって真剣にやってみることだってできる。
そのことを、人生の中で何度も考えたことだってある。
だけど、いつも戻るのはここだから、結局それが継続されているわけなんだけども。





「この先に、これ以上道があったんだ」




「ここを乗り越えたら、こんな世界があるんだ」





というのを、最近体験しつつある。
ずっと続けてると、いくらでも小手先で描けるようにもなるし、人が欲してることだってある程度わかるようにもなるし、忙しさに押しまくられてわけわかんなくなったり、知名度ないことデリカシーない人とかに色々言われたりするとムカツクし、いくら身を削っても、誰も立ち止まってくれない感じがして、焦ってわけわかんなくなって、気がついたら描けなくなっている(つまんないものしか)。




傷つかないように防御してつくり笑いしたり、この後どうやって生きて行けばいいのかと本気で悩んだり、お金もぬくもりも手に入れてる友達を見るだけで心がボロボロに疲れたり、どんどんただただ、もう何も見ずに傷つかずに生きていければいいという大人になろうとして、そうしたら、それすらなれなくて、見渡したら何にもなくて、でも自分を助けるものは表現でしかなかったと再度気付いた時に、なんか色んなものがどうでもいいというか、気にしてたことも、色んな美術に関わってる人がいってる処世術とかも、ほんとにどうでもいいことだなとかんじた。
もう身体自体が受け付けなくて。
だから多くのことをもう一度、捨てて、ぶち壊して、自分の心の子供を救出して、そして今生きていて、描いている。
まだ途中だけど。




「継続は力なり」
このコトバの真意をようやく知るアラサー(アラサーと言わせて!もう年齢はいえないわ)の春でした。




やー、かっこわるい告白をしてしまった。
でも最近より、ほんとうにかっこわるいことが、実はほんとーに大事な本質に見える。
なにかをずっとやってる人も、あきらめず続けてください、…とはいわないけど(笑)あきらめたければあきらめてください。人生短いからね。
どのみち、何を選んだって同じ壁にぶち当たるから、せっかくだから好きなことでそれにぶちあたって欲しい。
生きてるかぎり、新しいことに出会い続けるんだよね、すばらしいよ。楽しみでならない。
絵を死ぬまで続けたら、きっと死ぬまで発見があるんでしょう。
そう思うと、やめられない。
運命共同体のようなもんだ。