考えごと。。





最近、むかしより、瞬間的に凝縮してモノを考え込むことが多くなった気がする。
だから普段はあんまりムツカシイことは考えてなくて、でもある時急にふと穴に落ちたみたいに考え込んだりする。




それから、感覚を主にして生きるようになってから、色んなことがとてもスムーズになった。ピキピキッてあんまりしなくなったし、イライラもゼクシィくらいしかしない(笑)
しかし、ゼクシィすごい商業戦略だなぁ。インパクト大だねいつも。
うちの本屋では飛ぶように売れてます。




それにしても、話は変わるが、さっき、瞬間的に考えてたことは、"残す"もしくは"残る"ものについて。
モノづくりをする人って、基本的に残すことを前提に考えて作ってるものなのだろうか?
そもそも、ぼくは残りたい!歴史に名前を刻みたい!って気持ちでやってる人が多いのだろうか?
みんな、どんな感覚で作品を作っているんだろう?




有名になりたいということが主な人とかもいるのかな?
認められたい、ことが一番大事な人もいるかもしれないし。
地位と名声が欲しい人もいれば、まったくいらない人もいるし。
色んな人と話をしていて、やっぱり作品は数百年後もよい状態で残っている方がいいのはいいわけで。
それは物理的な問題だけど、結局、"残す"もしくは"残る"っていうことの意味って、なんなんだろう。
っていうか、むしろ"残す"ってもう、ゆだねてからの話かもね。
買った相手の管理というか。
でも"残る"ってのは、作家が唯一介入し続けられる作品の一部的なものなのかも。
なんてことを考えてた。




結局は、人の気持ちの一部にキョーレツに介入してしまうようなもの。
キョーレツに介入してしまえるものだけが、本当に残るものなのかもしれない。
それは、形があってもなくても。
きっと1000年も2000年も生き続けるような気がして。
そして、それこそがアートなんじゃないのかなー?




なんて、"残す"ってことにどうしても意味を見出せない自分がもどかしくありつつも、"残る"ことに必死になっているのかもしれない。
わたしはたぶん、たいして何もいらないとか思ってるのかも。
どうでもいいことが多いのかも。
素敵な気持ちで愛する作品を描けることが、いちばん大事で、ただ描いていたい。
そしたらさ、どんどん独りになるんだよ。
求められたいとか、認められたいとかっていう感覚じゃなくて、
存在したい、
他人からなんとかされたいじゃなくて、自分がどうしたい、って感覚にいつも行きついてしまう。
しかもキョーレツに、キョーレツに存在したいって感じに。




それって"残りたい"ってことなのかね。




そこまでいって、最終的に物理的に"残す"ことも大切になってきたりして、そうしたら数百年後のことを考えて描くのも、素敵なビジョンに見えてきたり。
なんて云いながら、できれば跡形もなくこの世から消えてしまいたいという強い欲求がいつもあるよ。




ああ、もっとハレー水星みたいなスピードで、なんかにぶつかって爆発したい。
100年後?ていうか、一週間後のことすらどーでもいいのに。
なんて思う自分もいる。ていうかこっちのが強い。
そういう両方の欲求のバランスを保つことが一番重要で、こっちはピンクの引き出しに仕舞って、もういっこは黄色のドアの奥にたたんで仕舞って、みたいな




感覚で、最近こういうくだらんことを瞬間にして考えたりしながら、今日もすくすく生きています。





□ NEWS ■■■





個展のお知らせ。


2009 1/15(thu)〜25(sun)

10:30〜18:30

木之庄企畫

http://www.kino19.com


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