終戦の日。

今日はお盆です。



わたしは、山咲千里さんのブログが好きで、有名な人はこの人くらいしかちゃんと日記をチェックしてないんだけど、2008年8月14日 (木)の”プロポーズの答え”という日記に、



父が母に結婚を申し込みわたしが生まれて、その父もまた、自分の父親が母親になる女性にプロポーズした。


いまの自分があるのは、さかのぼってプロポーズをした何人もの男性とそれを受けた女性たちの愛の歴史です。


お盆休みに先祖のお墓で手を合わせるとき、ふとこの愛の連鎖に、しみじみとします。




と書いてあって思い出したのですが、前にも書いたような気がするんですが、よくよく考えると数十年前の今日のこの日の話だったので、もう一度書きます。




この間、実家に帰った時にもおじいちゃんと話していました、戦争のこと。




おじいちゃんはもう90歳も越えているので、普段の生活のことは最近少し忘れっぽくなってきたっぽいけど(まだバイクは乗ってるけど)、昔のことはものすごく鮮明に覚えているようで、よくわたしに戦争の時の話をしてくれる。
特に、終戦記念日のこと。日本が無条件降伏をした時のこと。




その日、若いおじいちゃんは中国に兵隊として行っていて、そこで戦争が終わったことを聞いた。それはちょうど、宵の明星がでる頃で、その明るい水星を見て頬に涙が伝って来たという。
なぜなら、日本が無条件降伏をしたから。
今日で自分の人生も終わり、きっと明日は皆打ち殺されるだろう。
日本に残して来た家族、それから今までの人生がまさにフラッシュバックしたという。
この時はまだ父も生まれていなかった。




そんな翌日を迎えたが、なんと開放されるという。
殺されると覚悟を決めていただけにかなり驚いたそうだ。
でもここからどうやって日本に帰ったらいいかわからない。
わからないおじいちゃん達は、残り少ない食料や草などで食いつなぎ、さらには中国人に仕事を与えられ、その分食料をもらい、みんなで生き延びてなんとか日本に帰って来たのだそうだ。
その道のりはものすごく過酷なものだったそうだが、おじいちゃんは「中国人は、なかなか優しい」と感想を言っていた。




おじいちゃんが無事日本に帰って来ておばあちゃんと再会を果たし、それからお父さんができ、お父さんがうちのお母さんにプロポースして、ナイスタイミングでわたしが生まれた。
ものすごいことだよね。




それを、前に実家に帰った時に、宵の明星がでてる美しい空を見ながらおじいちゃんが話して聞かせてくれた。
たぶん、おじいちゃんがわたしに伝えたいことはきっとこのことなんだろう。
それが、とてもとても伝わって来るのです。








お盆、

みんなは夏休みなのかな?

実家に帰りたい。





うちは、

母方のおじいちゃんも元気なんですが(うちのおじいちゃんよりさらにパワフル もちろんバイクはまだ乗ってます)、おじいちゃんの奥さん(母方のおばあちゃん)は、おじいちゃんより随分年上だったのでもう亡くなりましたが、生前のおばぁちゃんを、めちゃくちゃ愛していました。
もちろん今も、めちゃくちゃ愛しています。




仏壇に朝、昼、晩、と毎日ごはんを供え、毎日花を替え、そしてなんと、クーラーすら共有してるんです、おばぁちゃんが暑いからドアを開けておくとか。
毎日仏壇に備えたごはんを、おばぁちゃんが食べてから(供えてから)、そのごはんをおじいちゃんが食べるんです。
今でもアツアツです。
そうやって、おじいちゃんはひとりで暮らしてるんです。
しかも、すごく明るく。




そんな、おじいちゃんのところへ、今日はおばあちゃんもあの世から里帰り。
久しぶりに会えるなんて、まるで七夕の乙姫さんと彦星さんみたいだなぁ。